meaningfulness

読書ノート

『論考』 2.0122

  • タイトルに『論考』とある一連の記事は、Wittgenstein, Tractatus Logico-Philosophicus (1921) の読書ノートです。
  • 翻訳の底本には Routledge が1961年に出した独英対訳版の第2版を使っています(英訳は D. F. Pears と B. F. McGuiness による)。独文は Suhrkamp が出しているウィトゲンシュタインの Logisch-philosophische Abhandlung に依拠しているらしいです。
  • 邦訳は野矢茂樹訳(岩波書店、2003)を参考にし、基本的に訳語もそれに倣います。
  • 原文をアフォリズム番号と共に載せ、その下に翻訳とコメント(ただのパラフレーズであることが多い)を書いていくという形式にしようと思っています。

 

2.0122    Das Ding ist selbständig, insofern es in allen möglichen Sachlagen vorkommen kann, aber diese Form der Selbständigkeit ist eine Form des Zusammenhangs mit dem Sachverhalt, eine Form der Unselbständigkeit. (Es ist unmöglich, daß Worte in zwei verschiedenen Weisen auftreten, allein und im Satz.)

 訳

 物が自立的であるのは、それがあらゆる可能的な諸状況において出現しうる限りでのことである。しかし、この自立性の形式は事態との連関の形式であり、非自立性の形式なのだ。(諸語が、〈単独で〉と〈文において〉という、ふたつの異なる仕方で現れることは不可能である)

 

コメント

 前回、対象が事態の内でしか、したがって、他の何らかの対象との結びつきにおいてでしか存立しえないという主張を、語は文の中でのみ意味をもつという主張とのアナロジーで理解しようとした。今回もその路線を引き継いでいく。

 〈対象が事態の内でしか存立しえないと言うが、たとえば我々は「イルカ」という語だけを見るときでも何かを了解しているし、何なら具体的な動物の姿をイメージすることもできる。このように、語は文の中に現れなくても我々にとって意味をもつのだから、それと同様に、対象もそれ自体自立的なのではないか〉という反論が想定されているように見える。

 これへの応答は次のようになるかもしれない。

 「イルカ」という語がそれ自体で意味をもつように見えるのは、「イルカ」という語が出現しうる文脈を前提しているからでしかない。我々は「イルカが空を飛ぶ」とか「私はイルカに乗る」とか「イルカは魚類である」とかが「イルカ」の出現を伴う(真偽はともかく)可能的な文であるということを了解している。「イルカ」という語がどういった種類の文に出現しうるかということを理解せずに、「イルカ」という語を単独で見ても意味が分からないだろう。「イルカ」という語が自立的に見えるのは、それが様々な(おそらく無限個の)文において出現しうるからであるが(「将来イルカが進化して人間を支配する」とか「アンドロメダ銀河にはイルカによく似た知的生命体の棲む惑星がある」とか、いくらでも多様な文が作れる)、それらの文において出現しうるということなしに「イルカ」が意味をもつことはできない。だから、「イルカ」の意味はそれが出現しうる文(の意味)に依存している。これが上の引用で「非自立性」と言われていることだろうか。丸括弧内の挿入はこの解釈を裏づけるように思われる。「諸語が、〈単独で〉と〈文において〉という、ふたつの異なる仕方で現れることは不可能である」。語は文において現れるものであり、文を離れて語が単独で現れるための別の仕方などありはしない、とこの箇所は言っているように見える。

 しかし、「物が自立的であるのは、それがあらゆる可能的な諸状況において[…]」(強調は削除)という部分には少し引っかかりを感じる。あらゆる可能的な諸状況? 語の側で考えるならば、あらゆる可能的な文において出現する語など無いように思える。では、ここで自立的な物として考えられているものとは?

 ここでは「事態」ではなく、「状況」という語が使われている。これまで、文に対応するものとしては事態を考えてきたのだから、ここで言われている「可能的な諸状況」によって可能な文に対応するものを考えるのは適切でないかもしれない。上の解釈に合うように「可能的な諸状況」の意味を考えるなら、〈ある語に対して、その語が出現しうる可能な文の集合に対応するような事態の集合〉が相応しいのではないか。つまり、可能的な状況は対象に対して相対的である(「イルカ」という語にはその語特有の使い方があるように)。

 

振り返り

 最後の「状況」の解釈は思いつきだが、この後の箇所を見るにそんなに間違っていない気がする。今回書いたことは直後の箇所と併せて考えられるべきっぽい。